2011年4月10日~13日、南三陸町に2度目の支援物資を届けました。同時に風呂の設営のためのモニタリングをしました。支援物資(段ボール40箱)を届けた避難所は6か所、モニタリングも含めて12か所を回りました。
南三陸町の避難所は全部で42か所あります。避難者の少ないところで30名、多い所で1,500名です。もっとも避難者の多い、道路も整備されているベイサイドアリーナには支援物資が毎日届けられています。各避難所にもようやく行き渡り始めました。
お風呂に関してですが、最大の避難所であるベイサイドアリーナには自衛隊が設営した大がかりのものがあり、各避難所からそこに入りにいくようになっていますが、実際には一週間に一度ぐらいしか周辺の避難所の方ははいっていないとのこと。10日前に訪問した時には無かったお風呂が各避難所に作られ始めていました。
ただしどこも風呂が家庭用で、更衣室と風呂が同じで、大勢の人が利用するには小さく、その簡易な作りのため女性の入浴ははばかれるとのこと。42か所の避難所のうち、風呂が設営されているのは5か所でした。
しかし、まだ風呂が設営されていない避難所では水の確保や稼働や管理の点で、設営が難しいのが現実。さらには、学校が避難所になっている場合、5月9日にそこで授業が始まる予定になっているために、再度他の避難所に集団移住を促されるということから、もし風呂を設営したとしても一カ月で使用されなくなる可能性もあります。天徳寺で風呂設営を検討しての今回のモニタリングでしたが、以上の理由から、また有る程度の大きさの風呂を設営するには、費用の面から、また現地にスタッフが常住する必要があるという点から、さらに検討を要することになりそうです。
上の写真のように道が瓦礫の中を縫うように走る町跡です。
周辺の避難所へ通じる道です。今回は経費削減のため寺の車を使いましたが、物資の重みで車体が下がっていることもあり、何度も底を地面にこすり、パンクの恐れも含め、冷や汗をかきました。
最大の避難所アリーナ、写真では分かりにくいのですが、支援物資がうずたかく積まれていました。その隣の写真は避難所入口脇に設置された本コーナー。1,500人の被災者がいるのに本コーナーは小さいものです。場所が限られているから仕方ないのでしょう。
皆さまから頂いた支援物資は段ボール数で約130個です。現在40個がまだ寺に残っています。今後、各避難所の必要に応じて配布してまいります。なお、今回避難所を回り、分かったことですが、食材、特に肉類、青野菜、卵、納豆が配布されないとのこと。これらは日持ちがしない、あるいは輸送に関しても援物資としては不適なものです。各避難所では毎日三食、大勢の避難者に避難者の女性陣が食事を提供しているのですが、上記のものが不足しているためメニューが極端に限られていると、あちこちの避難所から聞きました。また、上記の食材の中で卵があれば、簡単にメニューの幅が広がり、たんぱく源にもなるため、それを支援してもらうとありがたいとのこと。
たしかに卵は支援物資としては集めにくいものです。また、現在、卵を配布する団体もないのが現状です。そこで天徳寺では風呂設営の情報集めの意味もあり、卵をしばらく定期的に配布する予定にさせていただきます。卵配布は現地からの今回の要望に応じる意味もありますが、今後、各避難所の台所担当の人達との人間関係を作るためにも、さらに各避難所で必要とされる他の物資等の情報を集めるためにも有効な配布物資です。皆さまから頂いた支援物資も卵配布に合わせて少しずつ必要な人に的確に配布されることになります。
4月28~29日で再度現地入りして、たまご約7,500個(避難者の数分)を配布する予定です。その後、月1、2度の卵配布を検討しております。
天徳寺住職 二神成尊 合掌